広島原爆投下から77年の朝。
甲子園開幕。
テレビからラジオに切り替えても
世話しない。
旦那は船舶免許の為の座学。
次男は職場見学へそれぞれ出かけていった。
パートが休みの私は
眠れない日々が続いている。
朝活もやらなくなり、
パート前後のウォーキングも全く…
異動になり、複雑化する業務内容と
新しい人間関係に早くも心が萎え気味
どこまでノミメンタルなんだか…
洗濯を干して、ぼーとしてしまう。
旦那から、LINEあり。
『Rが亡くなったって』
Rちゃんは、高校の同級生で
旦那と同じアルペンスキー部だった。
20代後半に体調不良になり、長期間入院。
色々検査をして、わかった病名はALSだった。
徐々に身体機能が衰え、自力で起き上がることや、話すことも難しくなっていった。
30代になり、私は子育てや自分の事で悩み
暗い何処までも続くトンネルの中にいた
Rちゃんとは、SNSで繋がっていたので
よく私の事を励ましてくれた
なかなか、会えずにいたけれどRちゃんから
遊びに来て欲しいと連絡がきて
高校卒業以来、十数年ぶりに会いに行った。
ベッドの上にいた彼女は、陶器のように白い肌をしていて、おびただしい数の医療器具に繋がれて、お団子に結って、瞳は透明感があって少女のようだった。
Rちゃんは、私の話をじっと聴いてくれた。
自宅にて、24時間看護を受けていたRちゃんの兄が結婚してまもなく赤ちゃんが生まれるという頃、Rちゃんは自宅を出て、一人暮らしを始めた。
一人では、生活することはほぼ不可能。
でもRちゃんは親にこれ以上、自分の介護をしてもらうより、これからは生まれてくる孫のお世話を手伝って欲しいという思いから、
自宅を出たということだった。
頭では全部わかっているのに、話す事が出来ず、自分の意思で動く事も出来ず、思いを伝えることも容易ではないALSという病。
30代に一度会ってから、会う機会がなく
たまに、旦那とRちゃんどうしてるかなぁと
話したりしていた。
自由が全くない日々の中で、自分と向き合い
どう生きてきたのだろうか。。
あぁ、もう一度会いに行けば良かったと
自責の念にかられる。
眠れなくても、パートの人間関係で悩もうとも、自分の不甲斐なさを嘆こうとも、それでも自由になる体が自分にはある。少なからず、お金も稼げる。食べたいものを食べられる。家族がいる。
いつもいつも、足ることを知るということを
忘れてしまう。
今ある日常に感謝して生きていけるように
なりたいと思った。
Rちゃん、貴女はとても多くの事を
私に気付かせてくれた。ありがとう。
決して忘れない。
昼に、親友と会う予定だったが、
『旦那がクモ膜下出血で、ドクヘリで搬送される。いつどうなってもおかしくないって』
とのメールがあった。
なんてことだ(|||´Д`)
なんて日だ…